2018年7月26日木曜日

ダルカラ『1961年:夜に昇る太陽』

先日、ダルカラ(DULL-COLORED POP)さんの「福島三部作・第一部 1961年:夜に昇る太陽」を見てきました。
(DULL-COLORED POP  http://www.dcpop.org/

36歳の若手作家が、よくこれを書いたものだ・・・ 

間違いなくいいお芝居でした。
見終わって、作・演の谷賢一氏と言葉を交わしました。
柚「いい芝居でした。でも、だからこそつらかった。1961年って私の生まれた年なんですよ」
谷氏「ええ!だったら余計感慨がありますよね」
柚「当時の貧乏さは、書いた本人の谷君より私の方がわかるかも・・・」 


この作品は、題名の通り福島で起こった原発事故をテーマに、第一部は、1961年、戦後経済発展を続ける日本で福島の双葉町(群?)に日本初の原子力発電所建設の人間模様を描いた物語。

そこで描かれる人間模様に、もしかしたら書いた谷君本人より多くのことを感情移入したかもしれない。

戦後、「幸せ=豊かさ」を求める国民。
その結果、成し遂げられた経済発展。
でも、その裏で様々な「都合の悪い真実」 が「隠ぺい」され「後回し」にされた今の世界。
日本でも世界中でも、毎年起こる大きな災害、環境破壊など問題は山積み。
自分の幸せを追い求め、その結果の今の世界に、何万分の一かの責任は、私にもある。。。

劇中の、双葉町の住民の気持ちも、原発を作ろうとする事情も、双方がわかる。
「目先」かもしれないが、今、目の前にいる家族の、村の人々の、具体的な幸福を願って何が悪いのだろう!どうすればよかったというのだろう!

私は、1961年、岡山に生まれた。
その時の、しかも東北の田舎の状態が私にわかるわけではないが、「オールウェイズ・三丁目の夕日」で描かれたように、夢と希望に包まれただけの時代ではもちろん・・・ない。
「貧乏」「経済格差」は今の私たちから考えられないほど深刻だったはずだ。

帰りの道すがら、昭和の有名なシナリオライター・早坂暁さんの「事件・2」という本を思い出していた。
・・・東北から出稼ぎでやってきた男が、腕を怪我して働けなくなった。その結果田舎に帰れなくなり都会の闇に沈み、ホームレスになる。その男がラブホテルで売春婦を殺した。その売春婦も北関東の田舎で貧乏な農家に嫁いだ女。婚家のおばあちゃんが口減らしのために自分自身を船に乗せ自殺しようとした時、引き留めることができなかったという過去を持つ。
女はその自分が許せず家を出て、東京のネオン街で売春婦になり、内緒で家にお金を送り続けていた。
女が「娘が学校を卒業した。もう自分の役目が終わった。殺してほしい」という。 
情事の後、お互いの身の上を知った男は我が身の上を重ねて断り切れず女の首を絞めた・・・事件。

私がこの作品に出演したわけではないが、この本を読んだのが20代半ば。
当時、この女が義母の「自殺」を止められなかった時代が1960年だったこと、ほとんど自分が生まれた年だったことに愕然とした。
貧乏で、貧乏で、どうしようもなくて・・・

私自身は、高度経済成長の中まともな両親の元、今回の芝居「1961年:夜に昇る太陽」の中の若者のように「自分の人生」を謳歌して生きてきたのだ。
「貧乏」はある意味「不幸」だ。人間の尊厳を脅かす。
それを覆すため、なんとか「少しでもよくなるため」に生きてきた普通の人々・・・「1961年:夜に昇る太陽」や「事件・2」などの描かれた普通に生きる人々に、誰一人として「悪い人」などいない。
誰もが「幸せ」になりたくて一生懸命生きている。
私もその一人。

私たちは、いったいどうすればよかったのだろう・・・
何ができたというのだろう。・・・
これから、何かできることはあるのだろうか・・・

今回の芝居の原発問題には、「政治」や「たくさん利益を得る人」がかかわっているだろう。
これも、普遍のテーマだ。
せめて今、私が言えること。
「何万分の一かの責任」を持つ私たちは、何もできないかもしれないけど、せめて目を背けてはいけないのだと思う。
この心苦しさを、完全に忘れては・・・ 忘れたふりをしてはいけないのだろうと思う。

 
 今後の第二部・三部 で谷くんが何をどう描いてくるか楽しみにしています。

最後に・・・
ダルカラさんは若手に人気の劇団。
こないだも、おそらく演劇関係者だろうと思われる人がたくさんいました。でも、出来るだけ普通の人、演劇以外の仕事をして暮らしている人にたくさんこの芝居を見て欲しい。
そういう意味で、メジャーを目指してほしい。
それが芝居の意味、責任? 力? だと思います。
せめて・・・
せめて・・・

2018年7月21日土曜日

西日本豪雨災害 ボランティアに行けない!?

 ボランティアに行けなかったら、旅行に行こう!!!

西日本豪雨のために、私の故郷・岡山や広島、愛媛が、やっと復興に向けて歩みだそうとしています。
何もできない自分にイライラ、ウツウツしていたら、今朝どこかの情報番組で
「倉敷の美観地区の観光客にキャンセルが出ている。そこは全然大丈夫だから、観光に行こう!それも復興支援」
と言ってました。

思えば阪神淡路大震災の時、ちょうどバレンタインデーの季節で「こんな時にバレンタインデーなんて不謹慎だ」という世論が湧き出して、それにたいして神戸のチョコレートを作っているお菓子メーカーが「違う!バレンタインデーを盛り上げてチョコレートを買って欲しい。会社の存続がかかっている。社員とその家族の将来がかかっている」と発信したのを思い出しました。

倉敷の美観地区は、お店やカフェも多いので、この猛暑でも大丈夫。
夏の瀬戸内海の夕日は美しいです。
岡山の観光協会のサイトを見てやってください。
https://www.okayama-kanko.jp/modules/kankouinfo/pub_oshirase.php?oid=220

広島や愛媛も同じだと思います。
 みなさん、今年の夏は岡山へ!関西へ !

2018年7月12日木曜日

林佳代ちゃん 結婚!!!

林佳代ちゃん!結婚!
めでたいめでたい!

昨今、私の周り結婚とか出産とか、そしてそれでもたくましく女優として生き抜こうとしている女優達が増えている。
このたび、林佳代ちゃんが結婚、そして鹿児島に移住することとなり、いつものアクターズワークスのメンバーでフェアウェルパーティを開きました!

ところがところが・・・もう・・・
今もシングルの「結婚したい」オジサンとか、結婚3年目?結婚生活の現実に押しつぶされている「3年目」オジサンとかの、毒舌場と化してました!(笑)
ユメもチボウもあらへん・・・爆

そして、幹事の女子がプレゼントにエプロンを用意したのですが
「裸エプロン」だとか「そのエプロンは燃える」だとか・・・
挙句の果て、「こういう会話って今やセクハラだよねー」などど、言った本人たちが言い放って大笑い。

普通さあ、女子の結婚オメデトウパーティってさあ、もうちょっとかわいいピンクピンクした空気が流れるもん、ちゃうのん!!!

いやいや、佳代ちゃん本人も、私をはじめセクハラ芸能界(?笑)を生き抜いた昭和生まれの女優たちも、オッサンたちのセクハラ発言をものともせず、おなかの皮がよじれるまで大笑いしました。
私たちらしいパーティでした。
このときの佳代ちゃんは、いつもより綺麗で・・・。いや世間で噂には聞くけど、いきなりこんなに綺麗になるか?と思うほど綺麗で。いい方と巡り会えたのだな・・・と。

唯一、鹿児島に行ってしまうのが本人も残念で。
鹿児島でも負けずに芝居を続けて欲しいとみんなではっぱをかけました。
佳代ちゃん、ホントにホントに
おめでとう!!!


2018年7月9日月曜日

岡山県に特別警戒警報 実家の母の場合

まず、岡山をはじめ災害に見舞われた方々にお見舞い申し上げます。

私の実家、および親戚、直接の知り合いからは被害の知らせはありません。
が、災害にはほとんど縁がない岡山で何十年に一度の被害が起こってしまいました。

私の母も、一昨年、父を見送ってりっぱに独居老人となっているので、その日は朝から電話で様子を話し合っていました。
母は朝からもしもの場合の避難準備はしていたそうです。
両親ととても懇意にしてくださっているAさんが、午後、心配して「うちへ来れば」とお誘いくださったが、避難するなら地域の人と同じ避難所へ・・・とも思っていた母は一旦断ったそうです。
夕方、もう一度私が電話で話したら「避難所がどこに開設されているかわからない。民生委員の人も非難はしないらしい」ということを聞いて、私は「それならAさんの所にごやっかいになったほうがいい。とにかく一人でいるのはまずい」と言いました。
その言葉で母曰く「背中を押された」ということで、すぐタクシーを呼んでAさんのお宅へお世話になりました。
母からAさん宅に着いたという電話があった直後かそのちょっと前に、警報は「特別警戒警報」へと変わりました。

母は2日間お世話になり、のんびり過ごし、ゆっくり眠れたそうです。

後で無事、家に帰った母は「今回は結局これでよかったけど、今後はもっと早い段階で市内のビジネスホテルなどに行かなくては・・・」と、電話で反省会をしました。

とにかく、田舎で一人暮らしの老人。なにかあると動く足はない。
タクシーがちゃんと動いてくれる間に、安全な・・・いや、ちょっとでも安全と思われる、そして誰かほかの人がいる所に移動しておかなくては・・・!
そうでなければ残された道は家にじっとして、水害なら2階にでも行ってじっと救助を待つしかなくなる。
車をもっている若い人ですら、特別警戒警報が出てからの車での避難は危ないと言われている。
今回ウチは幸い何事もなかったが、倉敷の様子とかをテレビで見ているとぞっとする。

そして、Aさんに御礼の電話を入れると
「私たちでできることはいつでも。私たちは本当に、亡くなったお父様にお世話になったんです。まだ裏の山の土砂崩れが心配です。」と・・・。
今、この文章を書いていても涙が出る。
三文ドラマのように、携帯を片手に90度頭を下げながら御礼を言った。
電話を切った後、天を見上げて
「おとーちゃん、アンタは偉かった!」と。

2018年6月23日土曜日

亡き父の生家へ・・・

先日、一昨年亡くなった父の生まれた家に行ってきた。

父は岡山県真庭市勝山町ということろで生まれた。
中国山地の山の中、こちらでいうと信州のような気候の林業の町だ。
父の生家は、今は誰も住んでおらず、市の保存文化財的なものになっている。
時代劇に出てくるような・・・
土間とかまど、囲炉裏、外に昔牛小屋だった名残。家の前には蔵。

子供のころ、お正月や夏休みにここに来るのが楽しみだった。
私が生まれ育った岡山県南は暖かいところで、雪などめったに降らなかったので、冬は、高い山々に杉の木が立ち並んで、そこに雪が被っている景色がワクワクした。
そして、たくさんのいとこたちと一緒に、広い座敷で枕投げをしたり深夜までトランプをしたり・・・。
朝起きたら、囲炉裏に火が入っていて、木が燃える香りとお雑煮のお味噌汁のにおい。


父は次男だったので結婚して「水田」の家に養子に入った。私が生まれ育った家は母の家なのだ。
亡くなる前は認知症が進行していて、母曰く「勝山に帰る」とよく言っていたそうだ。亡くなる一年ほど前だろうか・・・母は執念で、そんな父を車に乗せて勝山町の生家に連れて行った。
もう、何がわかっているのかいないのか、こっちは全然わからないのだが、「それからはちょっと落ち着いた・・・」と言っていた。

そんな父の生家。
私は30年数年ぶりだった。
もう家財道具はほとんど何もなかったが、仏壇と囲炉裏、土間などはそのまま保存されていて、これも30数年ぶりにあったいとこたちと
「こんなに狭かったんじゃなぁ・・・、もっと広うて大きいと思うとった」と一緒に笑った
仏壇には、父の両親、兄夫婦が祭られていて。
母はその前に座り、父の写真を前において「やっとお参りできた」と言いながら、ずっと泣いていた。


今、アクターズワークスでキャラシーンクラスをやっている。
俳優としての訓練の一環だが、役作りの練習に「実在の人物」を演じる。つまりほとんどが家族だ。
そのクラスをやっていると、本当に「人に歴史あり」を目の当たりにする。
スター・政治家など有名人でなくても、戦争や大事件に巻き込まれてなくても・・・。どんな平凡な人生を歩んだ人も、実は平凡などではなく山や谷を潜り抜けている。
自分自身に大きな事件が起こってなくても、家族や周りの人にそれが起こり、それを一身に支えていたり・・・。

父も母も、そして私自身も。
生きてる人みんな・・・。

幼いころを一緒に過ごした親せきの人たちと、人生色々ありつつも、数十年ぶりにとにもかくにも元気で再開して、懐かしい一日を過ごした。
愛しさと、幸せを感じた瞬間だった。




2018年5月23日水曜日

谷健二監督の最新作 試写会 行ってきました!

あー、久しぶりにHPの更新でした。
こんなに書いていないとは・・・・スミマセン!

ユニット公演が終わり、死に体になりながらも仕事だけはせねば生きてはゆけぬ・・・と、ただひたすら投げていただいた球を打ち続けてました。

いつの間にかもう5月も終わろうとしています。

ユニット公演も見に来て下さった、谷健二監督と同級生の田村君。
谷監督はなんと、大杉連さんのお別れ会に行かず、私の芝居を見に来てくれました。
涙 涙 ・・・です。

その谷監督の最新作。
「一人の息子」
劇的なテーマを淡々と・・・自然体で描いた意欲作です!
主演の馬場良馬くんは、おととし私も電話の声だけ参加した「教科書にないッ!」にも主演しておりました。とても意欲的で好感度の高いワカモノでした。
今回、父親に対する複雑な思いを表現する、大人の役・大人の表現にチャレンジ!
あまり書くと、ネタばらしになるので表現がムズカシイ(笑)

7/7から 渋谷ユーロスペースにて 1か月間のレイトショーです!!! ぜひぜひ!!!






2018年4月7日土曜日

いよいよに迫ったアクターズワークスユニット 宣伝V 大公開!!!

いよいよだよー!
14日 土曜日 完売間近! それ以外の日はまだまだお席ございます!!!!
ちょっと、垣間見てください!

第一話  ヂアロオグプランタニエ

第二話  失われた三時間

第三話  強がる画家たち

             第四話  プロポーズ