2019年8月14日水曜日

先日のブログのお詫び!m(_)m

先日のブログ、、、わたくし、やらかしてしまいました!

1986の劇の時点では、まだ「バブル」には突入していなかったということです。
作・演の谷賢一先生から
 「1986年5月時点では日本はまだバブル景気には突入していません。
バブル景気という言葉もまだ言われてない頃ですね。
この年の年末から言われ始めますが、劇はこの年の5月までです。
そして福島の双葉町のド田舎にバブル景気は関係ないのです。
産業なんて何もねぇんですから……。ご参考までに」
という有難い、かつ暖かいメールを頂きました。。。
ありゃりゃ!
谷賢一大先生、ダルカラの皆様、大変申し訳ございませんでした!!!
ワタクシ、あの時代には色々思い入れ(怒りや違和感)があり、つい先走ったようです。
 
ただ、書かせていただいたように「バブル」という泡はその後、日本中を席捲し日本は腹立たしくおかしな時代に突入します。
 
せっかくですから、当時を知るワタクシからもう一つ思い出話を・・・。
私が東京で初めて一人暮らしを始めた頃、電気・ガスなどの料金の高さにビックリしました。当然、電力の自由競争はなく、ここに住んで電気を使う以上は東電と契約するしかありませんでした。(電力の自由化は3.11の後です。)
節電に心掛けました。
その後は、間違いなくバブルに突入し東京界隈の電力使用量は爆発的に増えて行きました。
一般家庭の様子も、その当時、一軒家にもエアコンなどあまりなかったし、一人暮らしのアパートやマンションにもエアコンはおろか、風呂無しの物件も多かった。
ですが、バブルがささやかれ始めるとともにユニットバス・エアコンは当たり前、パソコンも普及し始めます。まずゲーム機でしたね。
企業や工場、ビル、商業施設はいわずもがな。
なのに、数年経つとなんだか電気料金が安くなってきました。
ラッキー!とか思っていました。

これが、これが、原子力発電の恩恵だったんですね。
ましてや、東京の電力は東京で作ってはいない。
「メビウスの輪」の中でとある役の人物が言います。
「われわれは明治の時代から、電力を作っては東京に運んでいたんだ」
ということなのだったのです。

私の田舎は岡山で、原子力発電に関しては身近な問題ではありませんでした。
が、農業もおそらく漁業も、この地方の「なんの産業もねぇんですから」という問題、都市部との格差、行政の補助金まみれの問題、などなど同じように絡んで時代が流れていきます。
 
さてさて、そんなこんなに思いを馳せながら第三部を楽しみにしております。

2019年8月11日日曜日

ダルカラの福島三部作 第二部観劇終了!!!!



待望の第2部の観劇だった。
私は普段あまりこんなことは書かないが、今回は書く!
たくさんの人に見て欲しい!
今週来週、まだ席が残っているということです。
どうぞ皆さん、見てください、この芝居。

劇団 DULL-COLORED POP 公式ホームページ


〇今なぜ福島

この作品の作家・谷賢一氏はトークディスカッション で「震災の後、自分がこの出来事から逃げたような気がして・・・。母の故郷が福島で、人一倍原発のことは知っていたはずなのに・・・」と話していた。

人はすぐ忘れる。
何かとんでもないことが起こっても、人間には「忘れる」という能力が備わっていて、いやなこと辛いことはそこそこ忘れて、楽に生きられるように脳みそ君が人間を守ってくれている。
だが、それでいいのか・・・ということもあると思う。

東日本大震災が起きたのは201131日。3.11
もう8年経った。
20くらいのワカモノとしゃべると「君が子供の頃起こった大きな震災。わかる?」と話さなければならない。
もう、そんなになってしまったのだ。
今でもたまにテレビの緊急地震速報が起こると体が固まる。
例の低音のチャイムが鳴り、女性の声が響く「緊急地震速報です。。。」
一瞬、息が止まる。
東京のとあるビルの4階であの日を迎えた私。
三陸や福島でなくても、生まれてからあんなに怖かった経験はなかった。
たまに起こる地震や 緊急地震速報 は、私をあの日に引き戻す。まるで昨日の事のようだ。
そしてあの頃、福島の原発事故もテレビのニュースで見ない日はなかった。

それなのに・・・、こんな大変な出来事もどんどん昔の事になっていく。

芝居中の、東京電力社員の原発についての説明やら、政治家の原発についての話は、同じように私をあの頃に引き戻してくれた。

後三年で福島の汚染水は、置いとくところがなくなるそうな・・・。
まだ、終わっていない出来事。

私には何もできない・・・私にそんな力はない・・・と、私はすぐそう思ってしまう。
このことだって、せめて自宅の電力料金の支払いを東京ガスにしただけ。
「東電にはびた一文払いたくない!」と。
だけど所詮税金が投入されてるんだから元の木阿弥。情けない・・・(笑)
私は「どうせ何もできないのだから、そういうことは横に置いておいて何か私のできることに力を注ぎたい」と思って生きてきた気がする。
それはそれで、間違っている・・・ワケではないけど。
先日、先輩の西山水木さんに「話すだけでもいい」と言われ、ちょっとだけ気持ちが変わった。
何もできないかもしれないけどせめて話す。
せめて、芝居や映画のドラマを見る。
そして、思い出す。
思うをめぐらす。
それはとても重要なことなのだ。

だから、普段は絶対に残らない トークディスカッション に残ってみた。
「谷君の話を聞いてみよう」と・・・。

芝居終わりから トークディスカッション までの短い間に、何故か涙が出そうになった。

「何も出来ない」ことについて話をするのは、話だけしかできないのは、思った以上に辛いことだ。
でも、頑張ってみた。
いい時間だった。
作家の思いがたくさん聞けた。


〇初期の頃のつかこうへいさんみたい!

芝居の事も書くぞ!
谷賢一氏の作・演は、ダイナミックで好きだ。
特にこの三部作は、ダルカラ作品の中では力作で大人の作品。今回も男性たちの掛け合い、第一作もそうだったが、会話劇として見応えがあり、あっという間の2時間だった。

谷氏の作る芝居は、昔の・・・加藤健一さんや風間杜夫さん方が出ていたころの・・・つかこうへいさんの芝居を見ているようだ・・・と、少し前から思っていた。
ダイナミックで劇的で。
これぞ芝居!と全力でぶつけてくるエネルギーベタで好きだ。
どストレートにどしゃーばしゃーと。
今回の芝居も、最低限のセットで、本と役者の素の芝居だけでぶつかってくる。

谷賢一くん。
私から見れば若手イケメン演出家だが、昔から中身はオッサンっぽかった。(笑笑)
昔は、若さがなせる業でカッコつけている部分もあったろう。
今までダルカラ公演では、若者がその年齢で感じるテーマを舞台化することが多かったが(当たり前か・・・)、正直ちょっと違う感じもしていて、いつだったか谷君が青山円形劇場で昔のテント芝居の題材を演出したことがあって、なんでこんなにしっくり来てんだろう・・・と思っていた。
今、それが実年齢と追いついてきた気がする。
こんなにハードな題材がとても似合う。
ド直球を投げてくれるすがすがしさを感じる。
谷賢一ってこんな人なのだな・・・と。彼らしい気がする。


1986 

ただ、今回の第二部。これはいつの話だろうと、迷ってしまった。
1986年。日本はバブル景気に突入して、かなり独自の雰囲気がある時代だった。
私にはその時代のにおいが感じられなかった。それが残念だった。

1986年・・・
私は25歳。
故郷を離れて、そろそろ東京暮らしが板について来た頃だった。
あの頃、日本中が浮かれていた。
平和ボケの真っ只中だった。
戦争を知らない子供たちが大人になり、安保闘争からの学生運動も終焉を迎えて久しく、わたしたちは、シラケの時代、三無主義と言われ、政治や運動に無関係な世代となっていた。
当時の大人たちが興味を示していたのは、高度経済成長からバブル期へ、豊かになること、幸せに暮らすこと。日本の舵取りなど政府に任せて余計なことは言わない、首を突っ込まない。
自分のやりたいこと、自分たちの幸せを追い求めることが全て。
テレビを付ければCMで海外旅行・外車・ブランドの洋服・・・それはもう私たちのもの!
新潟沖に北朝鮮の船が来て、日本人が拉致されたというニュースも、いまや誰でも知ってる事実だが、あのころは「まさかぁ~、そんな映画みたいなことが起こるわけがない」と誰も信じなかった。
日本人は根拠のない平和と安心を信じて疑わなかった。
そんな時代だった。
福島の田舎と、当時の東京という感覚が違うのか?
いや、そんなことはない!
都会だけではない。田舎のちょっと大きな農家なら、トラクターの隣にバカ息子が買った真っ赤なポルシェ!
そんな時代だった。

この芝居の主人公は、原発反対運動のリーダーだったのに、そのために選挙に落選し続け、原発反対を封じ込めて町長選挙に当選し、挙句に原子力発電所を二機増設した、実在の人物がモデルだそうだ。
「なぜそんな180度違うことができたのか」と、谷くん自身トークディスカッションで言っていた。
劇の中では、自身の主義主張が受け入れられない、だからこそ政治の世界で活躍することが諦められない主人公の葛藤が良く描かれていた。
ただその原発反対の運動の「相手にされなさ」が、おそらくもっと大きなものだったのではと思う。
北朝鮮拉致に「まさかぁ~」・・・これだ。
主人公の家族や周りの人々は現実的に「家族が東電に努めてる」とか「東電の人たちがお客さん。それでウチの商売はもっている」ということだろうが、劇に描かれる外にいる日本人・一般大衆は、 「まさかぁ~」の人々なのだ。
「原発の危険性」とか言っても、「まぁ~コワイ。それは何とかしなくっちゃ」と言った次の瞬間「来年のお正月にハワイに行きたいぃ~」とか考えている・・・
「原発反対」を唱える人がいても、なんかそんな「運動」とかする人って時代遅れ、ダッサーい、何かコワイ、近寄らないでおこう・・・
わざわざ谷君が選んだこの1986年、チェルノブイリ原発事故が起こったことも、当時の私たちには「どこか遠くで起こった大変なこと」だった。覚えている。
正直、「何やってんだソ連(当時はロシアではなくソビエト連邦)。ったく、だから共産主義って」てなことさえ思っていた。
そんな時代だった・・・間違いなく。

谷君はさすがな情報収集で、劇中のセリフが間違っていることなどないと思う。
原発を誘致した補助金・助成金をあっという間に使い果たしているところなど、もう、全くあの時代だ。
主人公は、周りの政治家などに飲み込まれていく様子は見事に描かれていたが、本当に飲み込んだのは「あの時代」だったような気もする。
当時のおろかな日本人たちの作った「1986」に逆らえなかった・・・。
そんな「時代」がもっと感じたかった。

第一部では、あっという間に1961年に連れ去られた気がした。
第二部でも、その頃の、チャラさ軽さ、平和ボケの浅はかさ・・・まさに泡にまみれている時代のリアルを伝えて欲しかった。
それがちょっと残念。


2019年7月23日火曜日

「教科書にないッ!5&6」いよいよ27日渋谷で公開!大阪での上映も決定!

「教科書にないッ!5&6」いよいよ27日からですが、大阪での上映も決定しました!

大阪
劇場:シネ・ヌーヴォX
日程:8/24(土)~30(金)1週間限定公開

です。
大阪のメンズ諸君!いや女子も・・・
よろしくです。

私は6に出演。
私もちょっとエロっぽいシーンが・・・ないよぉ~(笑)
公式ホームページはこちらです。
http://kyounai.com/

2019年7月11日木曜日

舞台 世襲戦隊カゾクマンⅢ

先日、西山水木さん出演の「世襲戦隊カゾクマンⅢ」を見てきました。

いやー、もう楽しい楽しい。
おもしろくて、ばかばかしくて、ちょっと泣けて・・・
特に私たち世代には、たまらんでした。

西山水木さんは、若かりし頃からのあこがれの先輩。
正直言うと、憧れというより嫉妬のまなざしを向けていた女優さん。
いつも「ああいう仕事が出来る女優になりたい」と思い、ある時は意味もなく反発心を抱いていました。いえ、当時、水木さんとは全然お知り合いではなかったのです。私のただの「勝手にジェラシー」です。

その水木さんが、先日の私のWSをわざわざ見学にいらしてくださいました。もう、なんとビックリでした。
人生、生きてればこんなこともあるのですね。
それを期に、今では「演技について演劇について色々話をして行こう」と言っていただけるようになりました。


昨今、若者は(だけじゃないかもしれないけれど・・・)2.5次元で盛り上がっているようですが、我々世代はちょっとついて行けない。
その点、この「世襲戦隊カゾクマンⅢ」は我々世代にはもってこいの戦隊ものです。
いや、戦隊ものですよ、間違いなく!(笑)

最初に水木さんが登場されます。
もうそのセリフから笑ってました。客席も。
もうもう、ベタでベタで。お客様の期待に丸応え!!!
そして、ラストも。
なんでこれで、ちょっと泣けるのか・・・(笑)
今思い出してもおかしい!
いや、スミマセン、色々書きたいのだけれどネタバレはダメなので。何も内容が書けません。お察しください!!

でも、こんな疲れないで見られてちょっと心に沁みる舞台。
私は大好き!
こういうのが一般のお客様を魅了していけたら同じ役者としてとっても幸せです。
たくさん地方にも行って欲しい!!!こういうのが見られたら地方のシニアも「お芝居は楽しい」と思ってくれると思います。

今月17日まで。まだちょっとだけチケット残ってるそうです。
公式HP: http://priere.jp/performance/1907/





2019年6月28日金曜日

出演情報!「教科書にない!」Part5&6

久々に出演情報です!
3年前にPart1&2に声の出演(電話の声で・・・笑)しておりました。「教科書にない!」シリーズが、Part5&6でついに完結となりました。
今度はちゃんと姿も出ております。

今やもう当たり前となってきた、大人気コミックの映画化。
ちょっとエッチで楽しい若いオトコノコむけのコミックですが、今回はそれよりも恋人同士の切ないラストをお楽しみいただけると思います。(あくまでも個人的な感想です。おほほ・・・微笑)

7月27日(土)〜8月1日(木)の6日間限定公開です。
全日レイトショー公開 Part5・・・7/27,29,31 Part6・・・7/28,30,8/1
こちら、公式HPです。
https://twitter.com/kyounai1

見てくださいね!!!

2019年6月12日水曜日

昔のアルバム

先日、恒例の帰省。
古い農家の作りの家の、大掃除と衣替えをやってきた。
母と、たわいもない話をしてご飯を食べて・・・
季節柄、梅取りをした。
もう継ぐものもない田舎の田畑で、今はまだちょっとだけの梅畑がある。


その時、母が離れの一角で私の中学の時の卒業アルバムを見つけたと言い出した。

実は、私は自分の中学高校の時代のアルバムがどこに行ったか分からなくなっていて、ここ数年、帰るたびに探していた。

「どこで見つけたん?」と、 母と二人、見つけた場所に行って、その周りを探したら・・・・
あったーーー!
もう何十年ぶりに見た、中高時代の自分と同級生たちの顔。

私は地元の高校から東京の大学に進学。
その時はもちろん、大学卒業後どうするか決めていたわけではない。大学に行きながら芝居をやって、それがだんだん本気になって、仕事にすることを決め歩みだした。
そのころは、自分の子供の頃の荷物なんか実家の自分の子供部屋に置きっぱなしだ。
親も「なんだかんだ言っても、そのうちやめるだろう・・・最終的には女の子なんだから結婚すれば・・・」という思いで好きにさせていたことだろう。
親の思いとすれば、だいだい、アルバムだとか子供の大切なものは、結婚とかを期に子供が引き取っていく。それまでは「帰って来た時の居場所」と子供部屋をキープしていた。

ところが、結婚の気配もなく、超有名女優になって自分の家を買うとかでもなく(笑)ずるずると生き延びて今に至っている。
ある時期から私の子供部屋もだんだん親の荷物置き場と化していった。
私自身も、いい年になるまで中高時代のアルバムの事ととか気にも留めなかった。
その結果、どこにしまわれたかわからなくなったのだ。
そして、おそらくしまった張本人・父は10年くらい前から認知症になり3年前他界した。

ずっごくアルバムに執着があったわけでもないが、ない!となると妙にさみしくて、実家に帰って時間があるたびに探していた。
見つけてくれた母に感謝だ。
おかーちゃん、ぐっじょぶ!!!

なので、ちょっと昔の私をご紹介しようと思う。


           
岡山市立岡北中学校の卒業アルバムより集合写真

同じく 部活動の写真 卓球部でした。当時はマイナースポーツ(笑)


高校生の時のアルバムから。演劇部の発表会の写真も・・・。


岡山県立岡山朝日高校の修学旅行。

 めずらしく一人だけのアップの写真。
昔から容姿にはコンプレックスもあり、決して自分の顔が好きなわけではないが、この年になるとこの写真の16歳の自分・・・ちょっとカワイクね?(笑)

アルバムや卒業アルバム、合計6冊くらい。
あーーーあおはる!

2019年4月25日木曜日

池袋 高齢ドライバー事故

痛ましい事故が起こってしまった。
87歳だっただろうか、高齢ドライバーが大きな事故を起こしてしまった事案。

高齢ドライバーが免許を返納するのは、思っているほど簡単ではない。
田舎で車がなくては生活や仕事がままならない・・・というだけでなく、 長年運転してきた、特に男性ドライバーにとってそれは「まだまだできる」というプライドであることが多い。

ウチの亡くなった父も大変だった。
免許返納のことを切り出すと怒りだし、しばらく機嫌が悪い。
母ももちろん運転に反対だったが、父の機嫌の悪さが続き、そのことによる日常生活のストレスが大変だったため、いつもギリギリのところで「もうこの話は・・・」と言っていた。
今思い返せば、すでに認知症が始まっていたのだろう。怒り方もちょっと普通ではなかった。

父は小学校の校長だった人だ。もし、晩年にあの池袋の事故の高齢者のように人を傷つけたり殺めたりしたら、一生懸命生きてきた父の人生はどうなってしまっていただろう・・・。今想像しても恐ろしい。
うちの家族はなんだかとってもドライなところがあり「自分で事故ってケガをしたり亡くなったとしてもそれは自業自得だ。問題は人様を傷つけることだ」と口をそろえていた。
冗談ではなく「家族崩壊」という言葉がよぎったものだ。

結局、車がちょっとした不具合で動かなくなり、メーカーの人にお願いして「直らない」ということにしてほっといてもらった。
そうしたらあきらめがついたのか、しばらくして、自分で「車を返す」と言い出したそうだ。
その時にはもうかなり認知症が進んでいたはずの父だったが、交錯している頭の中で、理性的になっていた時に判断した言葉だったのだろう。
メーカーの人が車を引き取りに来た時、「大事に乗ってやってくれ」と言っていつまでも走り去った車を見つめていたそうだ。
父は、単純にとても車好きでもあったのだ。
それを私に話してくれた時の母の声は、涙声だった。
そして
「私はあの人には、なんか神様がついとるんじゃと思う。何かの時にはいっつも助けてもらえるような気がするんじゃ。」
と言った。
池袋の事故などのニュースを見ていると、本当にそう思える。

こういう事故が起こると、「家族の方が免許の返納を薦めて欲しい」という意見が出る。
もっともなことだ。
だが、それがうちの家族のようにとんでもないことになってしまい、家族関係をおかしくしてしまうかもしれないような家もあるのだ。

だから、私は法整備を望む。
自動停止の機能を義務付けるとか、エリア限定の免許とか、70歳で改めて免許を取り直す法とか・・・、テレビでは色々有識者の方々が言っている。知恵を縛絞って、早く政治家に対応してもらいたい。
これからもっと高齢者が増える。待った無しだと思う。
被害者の方はもちろんのこと、加害者にとっても一瞬で人生を失ってしまうことなのだから。

2019年4月15日月曜日

人生のモチベーション

アクターズワークスでエクササイズの後にやっている、キャラクター&シーンクラスを準備している。
その話し合いの中で、ずっと稽古に来ている若手の役者さんが「希望する劇団に所属できた」ということでお礼のメールをくれた。
嬉しいよねー!

今年は「新しいことをやる」という目標を掲げている。
とある映画プロデューサーの方に誘われて、今まで知らなかった方々の懇親会にでて「演技指導」について話し合ったり・・・
もう何年ぶりだろう、全然知り合いのいない演技ワークショップに単身申し込んで行ってみたり・・・
新しい・・・といってもあまり変わり映えしない芝居関係のことと思えるかもしれないが、ここ何年もやっていなかったことだ。

そういうことを通して自分の「モチベーション」について考える時間を持っている気がする。

「役者は待つのが仕事」といわれるくらい、いつ自分にスポットライトが当たるのか・・・全く分からない中、自分自身でモチベーションを保って、チャンスが来た時にそれをつかめる魅力と実力を培っていかなければならない。
来るのかもわからないチャンスに向かって自分を磨き続ける・・・改めてここでこう書くと目がくらくらしそうだ。

「人生はあざなえる縄の如し」だったか・・・まさにその通り。決していい時ばかりなんてありえない。
だからこそ、何で自分は役者が続けられるのか、自分のエネルギーの源は何なのかを見つめてみるのは大切なことだな、これも改めて・・・。

後輩の女優さんとそんな話になって、彼女は「私は怒りとくやしさ」だそうだ。
オーディションに落ち続けて「なんでなのよ!隣のコと何が違うのよ!」という悔しさがモチベーションで頑張れるそうだ。

私は・・・・ちょっと恥ずかしいが、人に褒められる・認められることだ。苦笑
カッコよく言えば「人の役に立っている」という気持ち。
人に話すと、恥ずかしくて笑ってしまう。。。。ああ!
オーディションに落ちたりすると「自分はいらないヤツ」と言われている気がしてもう「立ち直れない~~~!」と思うくらいどんよりしまくる。

自分のそういう気持ちをプラスに使って、「だったら上手くなろう」「いい役者になろう」「がんばろう」と思って、無理やりにでもそう思いながら一歩一歩続けて来たと思う。
これからもそうだな・・・と思う。
そして、二人で言ったのは「だからこそ本気でやらなきゃ何もつかめない」とうこと。
役者というのは、みんなが憧れる仕事。それほど狭き門の大変な仕事なのだ。

そんな役者という人生で「オーディションに受かる」「劇団・事務所に所属できる」など、大きく飛躍できるチャンスを手にした若手を見るのは本当に嬉しい。
そのコの嬉しさが自分の事のように感じ取れる。
っていうか、自分がレッスンを手掛けた人に対しては、もう、ほっとする!!!正直!(笑) 

やっぱり、話はここに行き着く。
みんな、本気で走れ~~~~~!

2019年2月26日火曜日

父の羽織

約二年前、父が他界した。
86歳。
母が老々介護で、6年ほど認知症が進んでいく父の世話をし、自宅での最後だった。 今はあこがれとなっている自宅で看取られる・・・というヤツ。
幸せな人だなぁ・・・と、改めて思う。

そんな父が、一度も袖を通す機会がなかった羽織があった。
母が「ほれぼれするくらいの絹じゃあ。私がお金を出してあげるから、スカートにでもして、あんた、着てくれん?」

その羽織がこれ。


そこまで言われれば・・・と了解し、東京に持ってきたものの・・・どうしたらいいんだろう。。。
今や、困った時はまずググる。

着物を洋服に作り替えてくれるところを探しまくった。値段とこちらの要求と・・・
やってくれるところはあるが、型紙は店側のデザインのものしかできなかったり(だいたいダサい)、洋裁しかやった経験がなく「自分で着物をほどいてくれ」と言われたり、 以外と東京にはなくて苦労した。
作るからにはちゃんと着られるものを・・・と思い、頑張った。
私はスカートだけを作ると着る機会がない。間違いなく・・・着ない!(笑)
なんとかしてワンピースに仕立てようと!
しかも、長く着られるようにあまり流行に左右されないデザインで!

やっとたどり着いたのが「きもの辻」さん。
洗い張りから仕立てまでやってくれ、こちらの要望も聞いてくださってフィットしたものを作って下さった。

なかでも、裏地。
これは染めているただの裏地だと思っていたのだが、折り込んだ一枚の布地だ!と教えてもらった。
「今はこんな手の込んだことするところはありませんよ。今どきこんなことしたらいくらかかるかわからない。とても贅沢な作り。」
ということだった。

そのワンピースがコレ!!!

友人の顔はプライバシーの問題でハートマークです(笑)

友人のジャズ歌手のコンサートに同級生たちと言った時、やっと写真を撮ることができた。
このワンピースのいきさつを話したら、
「素敵だね」「いい物だって、わかるよね」 と。
お世辞かもしれないが、嬉しかった。
母も「よかったよかった。これでこの羽織ももうひと世代生きて活躍できるがぁ」 と喜んでいた。
アクセサリーも靴もありものだった、ちゃんとこの服に似合うものをあつらえたらもっときれいに見えると思う。
色々チャンスを見つけて着て出かけられたらいいな。


父がいつどこで、どういう経緯でこれを作ったのか、なぜ一度も袖を通さず、しつけすら取ることなく、だけどすごくきれいな形で残していたのか、今や母にもわからないそうだ。

父が結局、袖を通すことがなかった羽織。
そんな劇的な裏話があるわけではないが、一つ形に出来てほっとしている。
できるだけ着よう!
来月、日舞の先輩の舞台がある。今度はそこだな!

2019年1月1日火曜日

あけましておめでとうございます!




謹賀新年

今年は、できるだけ自分の心の時間をゆっくりと動かしていこうと思います。

ゆっくり、じっくり・・・一歩一歩。

2019年がすべての人に幸多き一年になりますように!


柚木佑美